2014年08月02日
土生遺跡公園
土生遺跡(三日月町)は弥生時代の初めから
終わりにかけて人々が暮らしていた、

竪穴式住居ー地面を円形に掘り床とし、柱を立て、屋根をかけたつくり、
床には暖をとったり、料理をするための炉がある、広さは7~10畳程度。


高床倉庫ー収穫した米などを貯えた倉庫、
湿気から食料を守るため床を高くした。



土生遺跡は朝鮮半島から渡来した人々も暮らしていた、
弥生時代中ごろの小城の中心は土生遺跡一帯だった。
土生遺跡地図
終わりにかけて人々が暮らしていた、

竪穴式住居ー地面を円形に掘り床とし、柱を立て、屋根をかけたつくり、
床には暖をとったり、料理をするための炉がある、広さは7~10畳程度。


高床倉庫ー収穫した米などを貯えた倉庫、
湿気から食料を守るため床を高くした。



土生遺跡は朝鮮半島から渡来した人々も暮らしていた、
弥生時代中ごろの小城の中心は土生遺跡一帯だった。
土生遺跡地図
Posted by 天山山系 at 09:43
│Comments(1)
│小城みどころ
この記事へのコメント
吉野ヶ里遺跡の出土から以来、色んな本が出ました。「新・肥前風土記」を読んで、弥生時代のことは全く記載がないと改めて知りました。大和朝廷が編纂したもので、文字のなかった、伝承の語り部はいたと思われる弥生時代も、まったく歴史からは埋没し消え去り、我々は遺跡と遺物で弥生時代を知ることしかできません。文字とは大変に貴重な人類の宝物です。
Posted by
桜田靖
at 2014年08月08日 10:54